野村監督が亡くられてから二週間が過ぎました。亡くられて以後、追悼する記事や企画の多さが目立ちます。
それだけプロ野球関係者、メディア関係者、ファンなど、たくさんの人の心に残る方だったのだと思います。個人的には野村監督に会ったことはなく完全にテレビの中の人ですが、楽天イーグルスの戦いを通してたのしい思いをさせてもらいました。
球場に行き応援するほどのコアなファンではないのですが、イーグルスファンの端くれとしてイーグルスファンから見た野村監督について思い返してみます。
楽天イーグルスの礎を築き、強いイーグルスを見せてくれた
野村監督といえば選手育成の手腕。それは創設されたばかりのイーグルスにとって欠かせないピースでした。その時のことを少し振り返ってみようと思います。
オリックスブルーウェーブと近鉄バッファローズの合併により誕生した”東北楽天ゴールデンイーグルス”。球団創設2年目に監督として就任したのが野村監督でした。
分配ドラフトによりイーグルスにも選手が割り振られたものの、チームの核となる選手のほとんどはオリックスに行く仕組みになっていました。
そのためイーグルスの選手構成はドラフトで入団した経験の浅い若手の生え抜き選手、トレードなどで他球団から移籍した全盛期の成績が残せなくなったベテラン選手や才能を開花させられず苦労する選手、外国人選手など・・・まさに寄せ集めの集団でした。
選手層が薄く計算できる選手がほとんどいない状況に、当時野村監督が「やりくり野球が大変ですわ。」とぼやいていたのが記憶に残っています。
就任以降、他球団との圧倒的な戦力差に苦労しながらも、育成を中心にチーム作りを進めてきた野村監督。
主力選手がタイトルを獲得、開幕後に連勝など、徐々にプロ野球のチームらしくなり見せ場は作るようになってきました。それでも好調な時期は長く続かず、終わってみるとBクラス。
毎試合の内容を確認していたわけではないのですが、思い返すとそのように思い出されます。
それまでの積み重ねが形となって表れたのが2009年のシーズン。その年は開幕から調子が良かったものの、交流戦の頃と記憶していますが貯金を吐き出してしまいその後は借金生活。
このまま今年もBクラスかと思っていたところ、夏場以降は調子を上げ快進撃。最終的には初のAクラス、2位でCSに進出。
この時のイーグルスの強さには本当にワクワクしたのを覚えています。あの弱かったイーグルスがAクラス。しかも強いソフトバンクホークスを終盤にかわして2位!
他球団ファンから見ればそうでもないかもしれませんが、あの時の終盤の追い上げは、個人的には衝撃的な事件でした。
しかし結果を残したにも関わらず、まさかCS前のタイミングで来期は契約を結ばないと、野村監督の退任報道。
翌年も野村監督がチームの指揮を執っていたら、どんなチームになっていたか、どんな成績を残せていたのか…。もう一年、野村監督が率いる楽天イーグルスを見たかった。今でもそう思ってしまいます。
もちろん組織は一人で作られるものではなく、楽天イーグルスも野村監督がコーチ陣やフロントなど多くの人と協力して作られたものです。
でも野村監督がイーグルス草分けの時期に指揮官として戦力の底上げを図り、イーグルスの礎を築いた2009年までの道のりがあったからこそ、後の2013年の日本一が実現したのだと思います。
(星野監督の手腕を否定するつもりはありません。あの優勝は星野監督しかなしえないものでした。ただ、球団初の日本一には野村監督の功績も大きかったのではないのか、ということです。)
ぼやきや有用性だけではなくユニークさも輝く"ノムラ語録"
野村監督の言葉は”ぼやき”としてひとくくりにされることが多いですが、中身はぼやきだけではなく考えさせられる言葉、ユニークなものなど人の心に残るものばかりです。
- 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
- 失敗と書いて成長と読む
などの言葉は野球以外の分野や人生にも通じる重要な考えです。
しかしイーグルスファンの僕にとっては、試合後に記者との対応で生まれたユニークな言葉も負けず劣らず印象に残っています。
- マー君、神の子、不思議な子
(デビュー後、田中投手が打たれ点数を取られてもなかなか負けがつかなった時の発言) - 春の珍事か?(春先にイーグルスの連勝が続いた現象を記者に逆に聞いた時の発言)
- バッカじゃなかろうかルンバ(対戦相手の巨人の采配を皮肉った)
など面白いものばかり。
特に「バッカじゃなかろうかルンバ」はアンチ巨人の僕にとって痛快な言葉でした。あれは名言です。
今思うとユニークな言葉の数々は、いい成績を残せない新しい球団のファンへの野村監督なりの演出も含まれていたのではないか?とも思ってしまいます。
スワローズやタイガースの監督時代の野村監督のことをよく知らないので完全な思い込みですが、もしそうであったらファンのことをよく考えられたことですよね。
存在の大きさ
亡くられた当初、教え子である元プロ野球選手の方たちが涙を流して取材に応じていました。その姿を見ると厳しいイメージの野村監督でしたがメディアで報道されない部分では、不器用ながらも選手や周りの人に情深い人だったのではなかと思います。
個人的にも、あのぼやきや解説が聞けないと思うといまだに寂しいです。プロ野球関係者の方の訃報を聞いてこんなに喪失感を抱いたのは野村監督がはじめてです。
それだけ野村監督の存在が大きかったのだと思います。
終わりに:楽天イーグルスを好きにさせてくれたのは野村監督
監督や選手の去就に関しては残念に思うことが多いイーグルスですが、現場のチームのことは好きです。
ももちろんファンに日本一を味わさせてくれた星野監督や攻撃型オーダーを武器に勢いある戦いを見せてくれた梨田監督時代のイーグルスも好きですが、やっぱり野村監督時代が一番思い出深く残っています。
星野監督が亡くられて直後のシーズンはふがいない成績だった楽天イーグルス。今年はどうでしょうか?
日本シリーズで、ともに野村監督の教え子である高津監督率いるヤクルトスワローズと三木監督率いる楽天イーグルスのカードが実現したら最高ですよね。
野村監督、楽天イーグルスを好きにさせてくれて、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。