新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため無観客で開催される大相撲春場所。
今後二度とないことなのかもしれないので、初日を見ての感想を書きます。
異様な光景
テレビをつけて目に入ってきたのは、観客が誰ひとりいない大阪府立体育会館の真ん中に土俵がぽつん、そして数人の人。寂しい、悲しいという前にまず感じたのは、異様な光景。
本来ならば 人気力士が土俵に上がった場合や白熱した取り組みの後は大きな声援があります。今回はそれが全くありません。
テレビで見る側も、あの声援がないためいつもの高揚感が全く湧いてきません。なにか本場所のリハーサルでも見ているかのような違和感だらけです。
何も考えずに見てしまうと正直、物足りない。というのが本音です。いかにお客さんの声援が大相撲の重要な一部であったのか認識させられます。
土俵上の音がはっきり伝わってくる
では、見どころが全くないかというとそういうわけでもありません。いつもなら観客の声で遮られる音が、テレビを通して明確にに伝わってきます。
例えば、立ち合いで力士同士がぶつかる鈍い音、行事や呼び出しの声、まわしをたたく音など。
見る前に、音はいつも以上に聞こえてくるだろうと予想はしていましたが、ここまで鮮明に聞こえてくるとは思ってもいなかったので、新たな発見があって面白い!
特にまわしをたたく音が、思いのほか耳に残ります。
一方で予想しなかった音も聞こえてきました。それは結びの一番、白鵬ー遠藤で白鵬関が遠藤関の顔というよりこめかみのところを張った音。バッチーン!!!と響いてましたね。
張り手であんなに大きい音が聞こえてくるとは思ってもいませんでした。正直、結びの一番で”あの音”を聞くのは後味が悪く、とても痛そうです…。
神事としての大相撲
ー相撲は神事であるー
相撲にあまり詳しくない僕でもこのことは知っていましたが、感覚的にいまいちピンと来ませんでした。
それが今回、新型コロナウイルスによる被害が治まることを願って、静寂の中、力士同士がぶつかり合い淡々と取り組む姿を見て、神事としての相撲の一面を垣間見れたような気がします。
この春場所は、興行としてのただ単に勝つか負けるかだけではなく、本来の神事としての相撲を理解し意識する機会となっているのかもしれません。
見る側にしてみれば視覚的にも聴覚的にも前例のない春場所。今後、ひとりでも感染者が出れば中止とのこと。
優勝力士は誰になるのか気になることはありますが、まずは何事もなく15日間、無事に取り終わることが一番です。